室谷家古文書館


室谷家文書
文化年間の宇出津港
 承応二(1653)年から文久二(1863)年までの十九(全309)通の書状があるとされ、現在も当家の蔵に保有されている。
 当家は漁業の舟本と村役人を勤め、村関係と漁業関係の多数の史料がある。掲載の三点は藩政初期の貴重資料で三点目は宇出津草高の推移がわかる湊町の経済史料である。
 当家は久平を名乗る者が多いが、嘉永四(1851)年生まれの尚五郎は、宇出津郵便局初代局長となり、後に久平と名乗り明治十二年の初の県会議員に当選している。
(「能都町史」第三巻849頁より)

承応ニ年(1653)御城銀借用願(一紙)
承応2年御城銀借用願
(「能都町史」第三巻849頁より)

承応四年(1655)米払直段定書(一紙)
承応4年米払直段等定書
(能都町史」第三巻849-850頁より)

年不詳 宇出津村草高覚(続紙)
年不詳宇出津村草高覚

年不詳宇出津村草高覚2

年不詳宇出津村草高覚3

年不詳宇出津村草高覚4
 (「能都町史」第三巻849-851頁より)

文書解説
承応二年 「御城銀借用願」から
 承応二年(1653)正月十八日に宇出津町与頭清左衛門・久右衛門・長右衛門・吉右衛門の連名で漁業不振に付き御城銀借用願を提出している。この与(組)頭は、漁業の組頭か、或いは組合頭の中から代表を選び組頭とする例もあり、八人の組合頭の中から四名を組頭としたとも考えられる。
 (「能都町史」第五巻329頁より)

年不詳 「宇出津村草高覚」から
 宇出津の草高は、承応三年(1654)の村御印で四百六十八石二斗四合、免八ツ九厘であったが、寛文十年(1670)の村御印で、草高五百四十石、免八ツ三分であり、高にして七十一石七斗九升六合が手上高となり、免にして手加賀上免となり、二十年に満たない間に定納だけで約七十石の増税となっている。藩の高免化政策の一端を窺えるのである。
 (「能都町史」第五巻322頁より)

(参考)草高 田地の広さを地積ではなく、その地より産する米の量で表したもの。
   村御印 各村の草高・免・小物成の額を記し藩主印を捺した租税徴収令状。
   免   田地の草高に対して百姓の上納すべき率。
 (「加越能近世史必携」より)

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