松波城跡庭園跡 (平成22年度発掘調査の成果)

平成22年8月22日現地説明会資料 能登町教育委員会


1.はじめに
図1 トレンチ配置図
 松波城跡庭園跡は昭和54・55年に城跡全域と庭園跡の発掘調査が行なわれ、庭園跡が平成3年に石川県指定史跡となりました。能登町では平成18年度から松波城跡庭園跡周辺の詳細な発掘調査を行なっています。平成22年度は最終年度になりますから、これまでの発掘調査で明らかとなった事項について報告致します。
 なお、発掘調査に並行して、文献資料調査も実施しています。その成果については別の機会に報告したいと思います。
(図は 図1トレンチ配置図)

2.平坦面に関する概要
図2 造成段階図
第1段階(図2−1参照)削平
 削平前の地形は不明ですが、平坦面の中央から南東にかけて、自然の谷が存在しています。標高15m前後で丘陵裾部を削って谷部を埋めています。東西約20m、南北約30mで推定平坦面面積は約600uで、平坦面の丘陵裾で排水用とみられる溝が検出されました。
第2段階(図2−2参照)下層遺構
 削平時の周囲の溝とは別に、内側に排水用の溝が作られます。西側に建物と思われる柱穴が掘られ、平坦面北側に落ち込みが存在します。
第3段階(図2−3参照)庭園の造成、建物の建築
 枯山水遺構は、平坦面の西側に構築されます。内容は次項に記述します。
礎石建物周辺には、先ず下層遺構を炭化物の混じる粘土で整地を行ないます。次に礎石建物が作られます。枯山水、礎石建物の順に作られたと考えていますが、時間差はほとんどないと思われます。礎石が熱で赤く焼けていることから、火災にあったものと思われます。火災の時期は不明です。
第4段階(図2−4参照)機能停止
 焼土や炭化物が水平にならされ、後方の斜面を崩し、平坦面を埋めています。平坦面が消失し、庭園の機能が停止します。
(図は 図2造成段階図)

3.庭園に関する概要
図3 枯山水遺構・泥岩貼付遺構・池遺構平面図
構築(図3参照)
 枯山水遺構は、先ず平坦面の立ち上がり周辺にきめ細かい粘土を使い盛土造成が行なわれます。また、枯山水の北側は高くなるように盛土が行なわれます。次に、西側の斜面(庭園斜面)に地山土で盛土し傾斜を緩くします。次に景石を据え、円裸を敷き並べ、枯山水を作ります。西側の斜面には地山の泥岩を貼り付けます(泥岩貼付遺構)。枯山水遺構の東側には水が湧く所があります。この周囲は大きく窪み(池遺構)、南へ向かい排水溝が作られ枯山水遺構の南に種置する景石前に掘られた窪地に流れ込むようになっています。これらの遺構は昭和54年の発掘調査時にも確認されていますが、構築当初のものかは断定できませんが、今後の検討が必要です。
廃棄
 礎石建物が焼失後に整地された地層に庭小石が混じる事から、第4段階の庭園機能停止の際にかなり損壊している可能性があります。
景石
 現況から19個の景石は原位置にあると思われます。南側の池状遺構にある2個は状況から、原位置にはないと確認されました。景石は表面観察から5種類に分類できます。風化の細かい割れ筋が層状に多く入る(FGP)。風化の割れ線がブロック状に入る(AHIJ)。風化の割れ線が丸くブロック状に入る(K)。風化の割れ線が不規則に入る(NOR)。風化の割れが入らない(@BCDELMQ)。これらの石がどこから持ち込まれたものかは不明ですが、松波川河口付近と珠洲方向の海岸に良く似た石があります。
庭小石
 5cm前後の扇平な石を立てて並べています。主に安山岩を使用していると思われます。表面観察から6種類に分類する事ができます。流紋岩(65個)、良質の安山岩(167個)、表面が白色に風化した安山岩(2,109個)、表面が凸凹風化した石(746個)、表面が凸凹風化した赤色石(16個)、砂岩(20個)の計3,123個が残されています。また、昭和54年の発掘調査以降の管理で取り上げられ、保管されていた庭小石は649個あります。失われた石も考慮すると4,000個以上の庭小石を使い枯山水が作られたものと思われます。これらの庭小石は景石と同じように、松波川河口付近から珠洲方向の海岸に良く似た石があります。石の原産地は特定できていませんが、景石も庭小石もそれほど遠くない所から運び込まれたものと考えられます。
(図は 図3枯山水遺構・泥岩貼付遺構・池遺構平面図)

4.主な出土遺物図
GトレンチIトレンチJトレンチ
(写真は左よりGトレンチ、Iトレンチ、Jトレンチ/撮影はサイト編集者)

Gトレンチ(図1参照)
 錆びた鉄製品と庭小石が削平面上層から出土しています。
Iトレンチ(図1参照)
 珠洲焼片(W〜V期)と庭小石が削平面上層から出土しています。
Iトレンチ(図1参照)
 珠洲焼片2点(W〜V期)、越前焼片5点(16世紀前半)、信楽焼片5点(16世紀前半)、古瀬戸焼片(15世紀中〜後半)、瓦質土器、壁土2点、石鉢片、鉄製晶6点、庭小石が削平面上層から出土しています。

5.まとめ
枯山水遺構

(枯山水遺構/撮影はサイト編集者)
 今回の発掘調査で、庭園が作られている平坦面の段階的な造成方法と、枯山水の構築方法、さらに礎石建物の規模と礎石の据え方等が明らかとなりました。また、年代判定できる遺物の点数は少ないのですが、15世紀中頃から16世紀前半にかけてのものです。このことから、庭園と礎石建物の構築は16世紀前半に行なわれたものと推定されます。
 今後、現場から採取した炭化物による14C年代測定法により、暦年代が出される予定です。また、金沢学院大学東四柳史明教授により精力的に文献資料調査が行なわれています。発掘調査の現場は終わりますが、報告書の作成に向けての各種の調査・分析は引き続き実施されます。形を変えてその成果を発表できるものと思われます。
 最後になりましたが、これまでの調査でご協力、ご指導、ご鞭権を賜りました関係各位に厚くお礼申し上げます。
(高田秀樹)  

6.礎石建物の概要
図4 礎石建物平面図
 庭園郭の北側で検出され、枯山水庭園とは直交する位置に配置されています。今回の調査によって礎石建物跡の全体像が明らかになりました。建物の規模は東西約8.5m、南北約8.3mとなります。
 今回の調査では礎石が3基検出されましたが、前回までの調査した分を含めると、礎石が12基、柱穴が6基確認されたことになります。礎石には直径20〜40p、厚さlOcm程度の扇平な川原石が用いられますが、建物の要所にはこれらよりも大きく、直径40〜60cm、厚さ30〜40cmほどの礎石が用いられます。前者は、床面に直に配置するのに対して、後者には掘り込みがみられ、掘り込みは岩盤まで達しています。柱穴は岩盤を掘り込み、直径は20cm前後となります。柱間寸法は約1.2mから1.8mを測ります。
 礎石建物の構造は、礎石や柱穴の配置、柱間寸法から考えて2間×6問の建物の西側桁行に4間×4間の建物つくものと考えられます。また、枯山水庭園が観賞できる南側から西側にかけてはL字状に庇がついていたものと思われます。
 礎石建物跡の西側に位置し、南北軸に平行して石列があります。石列は検出長約2.8mを測り、構成する石は10〜20cmのものが用いられています。石は縦、横、縦という順に配置され、配置に規則性がみられます。礎石建物と枯山水遺構を区分するために設けられたものと考えられます。
(新出直典)

(図は 図4 礎石建物平面図)

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