所在地
  石川県鳳珠郡能登町
  字宇出津ム10-5
  洲崎電機 内
   (宇出津小学校 近く)
  電話0768-62-0658
要電話確認

トピックス
 11/19(土)、会長の洲崎氏と町ふるさと振興課の佐野課長が「大阪商業大学アミューズメント産業研究所創設10周年記念シンポジゥム」でパネリストとして参加の予定。

ごいた館


誕生に関わる二人の男
空から見た昭和50年代の宇出津港
 「ごいた」は漁師町である宇出津だけに今なお楽しまれている伝承娯楽です。
 明治時代から盛んに行われて現在に至っており、その語源やいつ誰が考え出して広めたものかについては、はっきりとした資料などは残っていません。しかし、言い伝えや古老の話によると、創案者とおぼしき人物が二人浮かんできます。
 その一人が、宇出津新町の商家の先々代・布浦清右衛門といわれています。清右衛門は、集魚灯を考案したり能登で初めて造花技術をもたらしたほどの発明家であったそうです。加えて無類の将棋好きで、この遊びを考え広めたといわれています。
 もう一人の人物は、宇出津の棚木に住んでいた通称「三右衛門」といわれています。三右衛門は勝負事にはかなり研究熱心な遊び人だったので、この遊びを編み出したのではないだろうかといわれています。もしかすると清右衛門が考案した遊びに長けていたのでそう伝えられているのかも知れません。
(写真は「能都町史第一巻」から、文は町の広報「広報のと」第21、40号より)

同じ大きさ同じ形の駒
ごいたの駒
 「ごいた」は将棋に似た駒を使い、その駒は王・飛・角が各2枚、金・銀・馬・香が各4枚、歩(し)が10枚の計32枚です。すべて同じ大きさと形で、また将棋と違って駒の裏面は無印となっており、マージャン牌のように裏から見て、どの駒か分からないようになっています。
 駒は、丈夫で肉厚もある真竹から作られたものが主流となっていて、現在では駒を作る人は少なくなっています。1組の駒を製作するのに、早くてもー週間はかかるといわれています。
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

ごいたの普及
昭和初期の宇出津港
 終戦後、「娯慰多」の三文字を当てて、紙で駒を作り、全国普及を図ったことがあったが、成功せずに終わったという話があります。また、昭和52年からは、宇出津公民館がこの伝統ある娯楽の保存と普及を図ることを目的に、毎年正月に新春ごいた大会を開催しています。
 平成11年には、伝承娯楽「ごいた」保存会が設立されました。この保存会は、高齢者の間で興じられることが多い「ごいた」がこのままでは忘れられるのではないかという危機感をもった数人の有志たちによって設立されたものです。設立時には公益信託エンデバーファンド21の助成を受けました。
 保存会は、ごいた教室の開催や年6回の公認大会の開催および支援、ごいた番付の発行、ごいた解説書の制作など各種の普及活動に精力的に取り組んできました。
(写真は「能都町史第一巻」から、文は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

宇出津の風物詩「ごいた」
対戦風景
 パチッといい音を響かせて打ち出す。自分が上がるか、味方を上げるか。奥深い駆け引きと読み合い。オヤジたちが子どものように夢中になる。
 近年では、宇出津地区の20歳代から40歳代の間で「ごいた」が静かなブームとなっており、町内会の集まりなどで、年配の方と一緒にごいたに興じる地区も出てきているようです。
 「ごいた」はもともと、漁師が大敷網漁を終えた余暇の時間を利用して興じられてきました。また夏場には、浜辺や日陰の涼しい場所にゴザなど敷いて楽しんでいる姿も見られます。これは、長年にわたり「ごいた」と親しんできた宇出津だけの風物詩といえるのではないでしょうか。
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

打ち出しまで
昭和30年代の港での魚箱打ち
 ごいたは2人1組となって4人で行います。まず同じ位の駒をー組ずつ4枚裏にして、4人がー枚ずつ取ります。同じ位の駒を取った人同士が同じ組となり向かい合わせで座ります。両組のうち、位の高い方の組から親を出します。
 駒はかき混ぜた後、盤上に丸く輪を書いたように並べ、親は駒が見えないように上を向きます(これを「あごのく」といいます)。親でない組のー人が任意の駒を押さえ、「それ」とか「一つ前」などと言って、最初に取る駒を決めます。親から順番に左回りに1枚ずつ取っていきます。8枚の駒はちょうど手のひらに収まり、他の人には見えないように打ち出して始まります。
「ごいた」での独特の用語
かかる:自分が持っている駒を、もう一人の味方も持っている場合。
相者.相方:(あいしゃ・あいかた)2人一組の一方の味方。
切る:同じ駒がない時に、代わって「王」を出すこと。
相談:一方が、歩を5枚手にしたときに、再度駒を取リ直すか、このまま進めるか協議をすることをいう。
ぞろ:勝負の結果、一方が10点さえ取れない場合、すなわち150対0の場合をいう。
:4人が手にした駒。配駒。「ごいた」は、手が7割ともいう。
つる:勝ちまで残リ10点のときをいう。「つる」となかなか勝てないなどともいう。
だまだま.おのおう:一人が手にする8枚の駒のうち、「王」を2枚持つことをいう。
(写真は「能都町史第一巻」から、文は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

しりとり方式で駆け引き
手のひらに収まる8枚の駒
 親が1枚を伏せて2枚を打ち出し、その駒から「しりとり」方式で持ち駒を2枚ずつ出していきます。次の人(左回り)は、手にそれがなければ「なし」といい、また、あっても「なし」といって相手組と駆け引きを行うこともあります。一巡して他に駒を出す人がいなかった場合は、一枚を伏せて任意の駒を出します。伏せる駒は自分しかわからないのですが、位の低いものが多くなります。
 こうして8枚の駒を早く打ち出した方の組が勝ちで、「上がり」の駒(8枚目に出した駒)によって点数(別表参照)がつけられ、先に満点(普通150点が多い)に達した組が勝ちとなる競技です。
 同じ持ち駒でも、打つ人の考え一つでどのようにでも打つことができ、どちらかといえば駆け引きが勝負を左右する、漁師の娯楽らしい競技です。また組同士でも間違った打ち方や32枚の駒の行方を誤って読んだりすると、相棒から非難をあびる事もあります。
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

ゲームの祭典で最優秀賞
保存会会長の洲崎一男氏
 ボードゲームなどアナログゲームの一大イベントである「ゲームマーケット2008」。4月27日に東京都浅草の産業貿易センターで開催されたこのイベントに伝承娯楽「ごいた」が紹介され、参加者の投票によるゲームマーケット大賞(シュピレッタ賞)を受賞。
 今回の出展について、保存会会長の洲崎一男さんは「保存会会員がインターネットで発信した『ごいた』が東京のゲーム研究者の目に止まり、東京支部が設立された。その支部長が「ゲームマーケット』の主催者だった」と語る。
 イベントには、保存会から5人がインストラクターとして参加し、144人が「ごいた」を体験したという。「待ち時間に『ごいた』や『能登』の話がゆっくりできればと考えていたが、大盛況で休む間もなく教えていた。それでも体験した人は相当楽しんでやっていたと思う」と洲崎会長は振り返る
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

駒の性質と上がり点数
しりとり方式で左廻りで打ち出す
駒の性質と上がリ点数
王(2枚)  上がリ点50点
飛、角(各2枚)上がリ点40点、王で切れる(競技用語)
金、銀(各4枚) 上がり点30点、王で切れる
馬(4枚) 上がリ点20点、王で切れる
香(4枚) 上がり点20点、王で切れない
歩(し)(10枚)上がリ点10点、王で切れない
王は飛角金銀馬を切ることができますが、香と歩は切れません。つまり香と歩は、時に驚異となるのです。
駒の特徴をうまく使うことが、「ごいた」の面白いところ。
駒の呼び方
・歩、兵(ふ・ひょう)  ・香(ごん・きょす)  ・馬(ばっこ)   ・王(おうさま・だま)
こんな場合もあリます。
・ 残り2枚が同じ駒の場合はその駒の2倍の点数。
・ 歩が5枚の時は、相棒と相談して続けるか再度駒を取リ直すか選択ができる。
・ 手持ちに歩が6枚以上の時は次のようになリます。6枚の時は残る駒の高い方の点数、7枚の時はその2倍の点数、8枚の時は1OO点。
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.21、40号より)

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