所在地
  石川県鳳珠郡能登町
  字恋路1-12
  恋路海岸付近
  電話0768-72-0251
要電話確認

恋路伝説館


恋路伝説
恋路の浜に立つ恋路物語像
 小平次の里で逢瀬を重ね、深い恋仲だった助三郎と鍋乃。そして鍋乃を想うあまり、助三郎を騙し命を奪ってしまった源次。真実を知った鍋乃は、助三郎の後を追ってこの世を去ってしまう・・・。
 時が経ち、丘の上の小さな観音堂が、いつしか男女の仲をとりもつ「縁結びの堂」と呼ばれるようになった。そこには若き日の過ちを悔い、僧侶となって故郷に戻った源次その人の姿があった。
 上の説明は現在、一般に伝えられているものであるが、昭和42年に書かれた「恋路の伝説」によると、若干ニュアンスが異なるので、それを紹介します。

恋路の伝説 -助三郎
恋路伝説表紙
 源平戦乱の際、越中倶利伽羅の戦に敗れし平家の落武者谷坂小平次という者がこの海岸に来て刀剣を捨てて、百姓となりか細い暮しの煙をたてていた。その頃から誰いうともなく、この附近を、小平次の里と呼ぶようになった。
 この小平次の里の南、木郎の里(現在の不動寺附近)に助三郎という、釣道楽の若者がいた。相当の釣好きと見えて川魚ばかり釣っていても、もはや興味なしとて、毎日この小平次の里の尾の崎や矢倉崎に来て釣りを楽しんでいた。潮のひいた時には、はるか沖合の弁天島に渡る。ここは獲物も大きく、種類もなかなか豊富なところで釣りにはこの上なく恰好な場所であった。
(文と写真は昭和42年「恋路の伝説」より)

恋路の伝説 -鍋乃
恋路の悲恋物語の手書き原稿
 この小平次の里の北隣りに、多田の里(現在の宝立町らしい)がある。そこに住む権十郎という者の一人娘に鍋乃という大変に器量よく、みめ美わしき女がいて、時折海の静かな日など、いつもこの里の浜に出て潮干狩や海藻を取る事で楽しんでいた。
 ところが、ある日のこと どうしたはずみにか弁天島の附近で鍋乃はあやまって海中に転落し将に溺死せんとしていたのを、助三郎に助けられた。こんな事があってから遠くて近いは何とやら、この二人はいつの間にやら人目をはばかる仲となってしまった。それ以来、二人は毎日この浜辺に来てはデートを重ねていたが、その道は案外けわしく磯伝いに浅い所をたどりながら通わねばならないので、月のない夜などは鍋乃が先に来て、かがり火を焚いて合図をし、ひそかにその逢瀬を楽しんでいた。
(文は昭和42年「恋路の伝説」より)

恋路の伝説 -源次
恋路海岸/弁天島
 ところが一方この鍋乃に何とかして思いをよせたいと悶々の日を送っている源次という者がいて、ある日つもる思いを、こまごまと鍋乃に対して打明けたが鍋乃の返事は意外に冷たく、「助三郎さんは、わたしのいのちの恩人です。今更、何をいわれても絶対ほかの人との約束などは出来ません。」 と、きっぱり断られて源次も一度は是非なき事とあきらめても見たけれど、煩悩の犬は追えども去らず考えに考え、悩みに悩みぬいたあげく、とうとう助三郎を亡きものにする以外、対策がないと決心。
 あの助三郎さえ、この世にいなかったなら可愛い鍋乃は自分のものと我れと我が身にいい聞かせ、一人合点も胸のうち、ある夜ひそかに鍋乃のあとをつけ、やがて、いつもの所で焚火をせんとする彼女を捕えて縛り上げ、声も出せない程にした後、焚火の場所を岩のはずれの島影に移して待っていた。
(文は昭和42年「恋路の伝説」より)

恋路の伝説 -悲劇
恋路伝説の紹介看板
 そんな事とは夢にも知らない助三郎はいとしい鍋乃に逢いたい一念から楽しい思いを胸に秘め磯伝いに暗い海を焚火をめあてに渡ろうとして、思いがけない深間におち、あわてて這い上ろうとする所を一撃のもとに源次が一刀を浴びせたので、さすがの助三郎も余りの不意にものをも言わず、もんどり打って海底深く沈んでしまった。
 やがて源次は鍋乃の縄をとき「今では、お前の恩人、助三郎は、もうこの世にはいないんだ、せめてものいとしい思いを晴れてこの源次によせてくれてもいいだろう…」とせまったが、鍋乃は縄目が解けるや否や握る源次の手をふりはらい、浜辺へ向って一目散"
 こうなれば可愛さ余って憎さが百倍− 逃げる鍋乃のあとを追いすがり、又も一刀を加えれば悲鳴を残して海中に身をおどらせて飛びこんだ。その後、源次は我が身のしわざを後悔し慙愧の涙を流し、遂に仏弟子となって旅を続け二人の菩提を手厚く弔らったという。
(文は昭和42年「恋路の伝説」より)

灯りでつなぐ能登半島 
町内小学校児童らが自分の作品を見つける
ロウソクに火をつける 数多くの作品から自分の作品を見つける
 恋路浜に5000個の灯りがともる「夏の夜の恋路物語」は、8月8日に行われました。午後6時の点灯式では、山本一朗実行委員長があいさつをしてくださり、その後たくさんのボランティアによって一斉に灯りがともされました。
 このイベントでは、キャンドルライトのほかに、縄文工房のメンバーや町内小学校児童などが作った「縄文ランプシェード」も並べられました。
 特設ステージでは、舞踊や太鼓、ミニコンサートなど多彩な催しも披露され、訪れた見物人を楽しませていました。
 灯りをテーマに能登半島を縦断するイベント「灯りでつなぐ能登半島」が今年(2009)も各地で開催されています。
(文と写真は町の広報「広報のと」55より)

2009,8/8夏の夜の恋路物語
イベント終盤には水平線からもう一つの灯リが昇った
ロウソクに火をつけるカップル
イベント終盤には水平線からもう一つの灯りが昇った
灯りで包まれた砂浜
ハート型に並べられていた
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.55号より)

恋路伝説雑景
弁天島/北西より 弁天島/南西より
 写真上左は弁天島を北西より見たところ。右手の奇岩が悲劇の場所か・・・
 写真上右は弁天島を南西より見たところ、左に「恋路物語」像がある。
 下は恋路海岸の地図。赤丸は「恋路物語」像、青矢印は撮影方向。

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