■恋路の伝説 -助三郎 | |
この小平次の里の南、木郎の里(現在の不動寺附近)に助三郎という、釣道楽の若者がいた。相当の釣好きと見えて川魚ばかり釣っていても、もはや興味なしとて、毎日この小平次の里の尾の崎や矢倉崎に来て釣りを楽しんでいた。潮のひいた時には、はるか沖合の弁天島に渡る。ここは獲物も大きく、種類もなかなか豊富なところで釣りにはこの上なく恰好な場所であった。 (文と写真は昭和42年「恋路の伝説」より) |
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■恋路の伝説 -鍋乃 | |
ところが、ある日のこと どうしたはずみにか弁天島の附近で鍋乃はあやまって海中に転落し将に溺死せんとしていたのを、助三郎に助けられた。こんな事があってから遠くて近いは何とやら、この二人はいつの間にやら人目をはばかる仲となってしまった。それ以来、二人は毎日この浜辺に来てはデートを重ねていたが、その道は案外けわしく磯伝いに浅い所をたどりながら通わねばならないので、月のない夜などは鍋乃が先に来て、かがり火を焚いて合図をし、ひそかにその逢瀬を楽しんでいた。 (文は昭和42年「恋路の伝説」より) |
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■恋路の伝説 -源次 | |
あの助三郎さえ、この世にいなかったなら可愛い鍋乃は自分のものと我れと我が身にいい聞かせ、一人合点も胸のうち、ある夜ひそかに鍋乃のあとをつけ、やがて、いつもの所で焚火をせんとする彼女を捕えて縛り上げ、声も出せない程にした後、焚火の場所を岩のはずれの島影に移して待っていた。 (文は昭和42年「恋路の伝説」より) |
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■恋路の伝説 -悲劇 | |
やがて源次は鍋乃の縄をとき「今では、お前の恩人、助三郎は、もうこの世にはいないんだ、せめてものいとしい思いを晴れてこの源次によせてくれてもいいだろう…」とせまったが、鍋乃は縄目が解けるや否や握る源次の手をふりはらい、浜辺へ向って一目散" こうなれば可愛さ余って憎さが百倍− 逃げる鍋乃のあとを追いすがり、又も一刀を加えれば悲鳴を残して海中に身をおどらせて飛びこんだ。その後、源次は我が身のしわざを後悔し慙愧の涙を流し、遂に仏弟子となって旅を続け二人の菩提を手厚く弔らったという。 (文は昭和42年「恋路の伝説」より) |
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■灯りでつなぐ能登半島 | |
恋路浜に5000個の灯りがともる「夏の夜の恋路物語」は、8月8日に行われました。午後6時の点灯式では、山本一朗実行委員長があいさつをしてくださり、その後たくさんのボランティアによって一斉に灯りがともされました。 このイベントでは、キャンドルライトのほかに、縄文工房のメンバーや町内小学校児童などが作った「縄文ランプシェード」も並べられました。 特設ステージでは、舞踊や太鼓、ミニコンサートなど多彩な催しも披露され、訪れた見物人を楽しませていました。 灯りをテーマに能登半島を縦断するイベント「灯りでつなぐ能登半島」が今年(2009)も各地で開催されています。 (文と写真は町の広報「広報のと」55より) |
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■2009,8/8夏の夜の恋路物語 | ||||||||
(文と写真は町の広報「広報のと」N0.55号より) |
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■恋路伝説雑景 | ||||
写真上左は弁天島を北西より見たところ。右手の奇岩が悲劇の場所か・・・
写真上右は弁天島を南西より見たところ、左に「恋路物語」像がある。 下は恋路海岸の地図。赤丸は「恋路物語」像、青矢印は撮影方向。 |
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