所在地
  石川県鳳珠郡能登町
  字小間生
  旧小間生小学校
  電話0768-76-0275
要電話確認

久田和紙館


久田和紙-その和紙
旧小間生小学校(現在は公民館)
 350年前の文献にも見られる久田和紙は、古くから生産されていた久田地区の特産品だった。
 コウゾのみを使った丈夫で染みのない和紙として重宝されていたが、洋紙の普及に押され大正初期に廃れたとされている。
 昭和63年に小間生小学校の体験学習として復活し、柳田中学校の三年生が紙漉きに挑戦した。世界で一つ自分だけの卒業証書を自分の手で作り上げています。
(情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載)

小学校から地域へ
作品は造花・人形など色・種類も様々
 小間生小学校で受け継がれてきた「久田和紙」の存続は、小学校の閉校によって再び危機を迎える。この技術を地域に残したいと考え、地域に呼びかけ8回にわたる生涯学習会を開催。
 講師を務めたのは6年生の児童だった。この学習会に参加し、和紙づくりの工程を一通り経験した15人は、久田和紙の伝統を継承していこうと「みわ会」を結成した。
 みわ会は、なごやかな会話、広がる輪、楽しい和紙づくりという3つの「わ」を掲げ、紙すき体験など地域の交流の場として和紙づくり活動を展開している。
(情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載)

重労働な和紙造り
作品

 和紙づくりは原料となるコウゾ採集から始まる。「原木を採ってきてから叩いて細かい繊維にするまでの、工程を一気にやらなければいけない。「みんなとワイワイやるからできる。一人じゃ絶対できない仕事」であり、コウゾの加工は主に農作業が終わった晩秋から冬にかけて行われ、紙すきをするまで保存される。
 和紙の出来を左右する作業はやはり「紙すき」。「薄く、均等になるよう微妙な手加減が必要」ということだ。

 (情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載)

地域の宝物として
 柳田中学校では、久田和紙を使った卒業証書作りを体験している。今までは紙すきだけの体験だったけど、近年はコウゾ採りから全ての工程を体験している。
 生徒たちは本当に楽しそうに作業している。「原木から紙を作る大変さも分かり、自分で苦労して作った卒業証書を生涯大切にする」と言っている。
 「みわ会」では、これからも仲間と一緒に楽しく和紙を作りながら、地域の大切な文化を伝承していく。

@水に浸しかき混ぜる(写真左)  A紙漉き/厚さに応じて2、3回均等に(写真右)
原料を水に浸しかき混ぜる
紙漉き
(情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載)

和紙を作る
 和紙の原料は「楮(こうぞ)」。冬の間に
  1.原木採集
  2.原木を切り約4時間蒸して樹皮をはぐ
  3.黒い部分をそぎとる
  4.2〜3日水に浸して水洗いする
  5.ゴミや傷などを取り除く
  6.棒で叩き繊維を細かくする
という工程を経てから紙すきが行なわれる。
 和紙づくりとともに作品づくりも行なっている。主な作品は造花、人形、切り絵、しおりなど。
B布ではさみ漉いた紙の水分を取る(写真左)  C板に並べて乾燥させれば完成(写真右) 
布ではさみ水分を取る
板に並べて乾燥
(情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載)

柳田村史にみる久田紙
柳田の集落
 久田紙の製法については文書による史料はないが、明治末まで漉いていたという老人の話によれば、だいたい次のようであった。
 まず春早く取リこんだ楮の皮をはぎ、その皮を田切りか田打ち頃に土間の庭がまに据えた大きな桶(コシトという)で蒸す、次いで皮たくりをして白い繊維にし、これを釜で煮てあく出しをしたあと川の流れでさらす、こうしてさらした繊維を内浦の上村から買い入れた石の板に乗せ、これを真中にして向かいあった二人がたたきばい(キヌタのことで、材質は柿の木を用いた)でうち拡げ、さらに紙すきふねに入れて漉いたのである。漉くときはねりの木でつくった糊を入れたが、漉くのに用いた賓は竹を馬の尾であんだものであり、同じく箒はネーゴ箒(藁の抜穂でつくったもの)であった。
 漉いた紙は、晴天のときは張板に張って外で干したが、悪天のさいはエンナカ(いろリ)のまわりで「ついたて」で干すこともあった。
 つぎに紙漉き人の階層であるが紙すき作業が主として冬季間に限られ、乾燥も室内乾燥が相当の比重を占めたため、広い作業場を必要としたことから、どちらかといえば大高持ちの親っ様層に集中していたのである。
(文は「柳田村史」419、420頁より)

民家検労図にみる紙漉
民家検労図
 左の図は、加賀藩末期の産業について画いた「民家検労図」という書物に集録されている当時の紙すき方法の説明と挿絵である。久田の製紙もこれと大差ないものといえよう。
紙漉図
 楮之皮を川二浸し、幅五寸長壱尺五寸ばかり之板二載、苧引金とて長三寸幅弐寸余之金を、木二仕込し物二て皮をこそげ、釜二入、蕎麦柄たばこの骨杯の灰汁二て煮、上中下三段二善悪を撰分けべた/\二成たるを十日程経て、石之上二て縄を以てたゝき、漉舟之中へ入すく也、其節ねりと云ものと灰汁二て煮入る、草ねリ木ねりとて両品有
 久田紙は丈夫で、しかも紙の大敵であるしみがつかないため重宝がられたが、反面、字歩りが悪い欠点もあった。
(文と写真は「柳田村史」420頁より)

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