■久田和紙-その和紙 | |
コウゾのみを使った丈夫で染みのない和紙として重宝されていたが、洋紙の普及に押され大正初期に廃れたとされている。 昭和63年に小間生小学校の体験学習として復活し、柳田中学校の三年生が紙漉きに挑戦した。世界で一つ自分だけの卒業証書を自分の手で作り上げています。 (情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載) |
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■重労働な和紙造り | |
和紙づくりは原料となるコウゾ採集から始まる。「原木を採ってきてから叩いて細かい繊維にするまでの、工程を一気にやらなければいけない。「みんなとワイワイやるからできる。一人じゃ絶対できない仕事」であり、コウゾの加工は主に農作業が終わった晩秋から冬にかけて行われ、紙すきをするまで保存される。 和紙の出来を左右する作業はやはり「紙すき」。「薄く、均等になるよう微妙な手加減が必要」ということだ。 (情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載) |
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■地域の宝物として | ||||||||
柳田中学校では、久田和紙を使った卒業証書作りを体験している。今までは紙すきだけの体験だったけど、近年はコウゾ採りから全ての工程を体験している。
生徒たちは本当に楽しそうに作業している。「原木から紙を作る大変さも分かり、自分で苦労して作った卒業証書を生涯大切にする」と言っている。 「みわ会」では、これからも仲間と一緒に楽しく和紙を作りながら、地域の大切な文化を伝承していく。
(情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載) |
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■和紙を作る | ||||||||
和紙の原料は「楮(こうぞ)」。冬の間に 1.原木採集 2.原木を切り約4時間蒸して樹皮をはぐ 3.黒い部分をそぎとる 4.2〜3日水に浸して水洗いする 5.ゴミや傷などを取り除く 6.棒で叩き繊維を細かくする という工程を経てから紙すきが行なわれる。 和紙づくりとともに作品づくりも行なっている。主な作品は造花、人形、切り絵、しおりなど。
(情報提供者「みわ会」-内容は町の広報誌「広報のと」第37号に掲載) |
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■柳田村史にみる久田紙 | |
まず春早く取リこんだ楮の皮をはぎ、その皮を田切りか田打ち頃に土間の庭がまに据えた大きな桶(コシトという)で蒸す、次いで皮たくりをして白い繊維にし、これを釜で煮てあく出しをしたあと川の流れでさらす、こうしてさらした繊維を内浦の上村から買い入れた石の板に乗せ、これを真中にして向かいあった二人がたたきばい(キヌタのことで、材質は柿の木を用いた)でうち拡げ、さらに紙すきふねに入れて漉いたのである。漉くときはねりの木でつくった糊を入れたが、漉くのに用いた賓は竹を馬の尾であんだものであり、同じく箒はネーゴ箒(藁の抜穂でつくったもの)であった。 漉いた紙は、晴天のときは張板に張って外で干したが、悪天のさいはエンナカ(いろリ)のまわりで「ついたて」で干すこともあった。 つぎに紙漉き人の階層であるが紙すき作業が主として冬季間に限られ、乾燥も室内乾燥が相当の比重を占めたため、広い作業場を必要としたことから、どちらかといえば大高持ちの親っ様層に集中していたのである。 (文は「柳田村史」419、420頁より) |
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■民家検労図にみる紙漉 | |
紙漉図 楮之皮を川二浸し、幅五寸長壱尺五寸ばかり之板二載、苧引金とて長三寸幅弐寸余之金を、木二仕込し物二て皮をこそげ、釜二入、蕎麦柄たばこの骨杯の灰汁二て煮、上中下三段二善悪を撰分けべた/\二成たるを十日程経て、石之上二て縄を以てたゝき、漉舟之中へ入すく也、其節ねりと云ものと灰汁二て煮入る、草ねリ木ねりとて両品有 久田紙は丈夫で、しかも紙の大敵であるしみがつかないため重宝がられたが、反面、字歩りが悪い欠点もあった。 (文と写真は「柳田村史」420頁より) |
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