所在地
  石川県鳳珠郡能登町
  字秋吉
  あまめはぎ公園近く
  電話0768-72-8080
不定休10:00-18:00
  要電話確認

あまめはぎ館


あまめはぎ
昭和50年代の子供達
 アマメハギとは、立春前夜、節分の夜に子どもたちによって行われる伝統行事。子どもたちは、自分で作った鬼の面を着け、箕、前垂れをあて、サイケと呼ばれる桶と竹で作った包丁を手に家々をまわる。その際「あまめ!」「怠け者はおらんか」などと子どもたちに聞かせ、冬の間の怠けた心を戒める。秋吉地区では、この大切な行事を後世に残そうと、昭和44年に「アマメハギ保存会」を結成し、保存・伝承活動を行っている。
        (文は町の広報誌「広報のと」N0.25より)

能登はやさしや−重要無形民族文化財
保存会会長の天野登氏
 この保存会の会長を28年間務めているのが、秋吉の天野登さんだ。天野さんは、「自分が子どものときのアマメハギは本当に楽しかった。今の子どもたちにもアマメハギを楽しんで欲しい」と話す。アマメハギは昭和54年2月3日、旧門前町皆月地区に伝わる「あまめはぎ」と、輪島市に伝わる「面様年頭」と合わせて「能登のアマメハギ」として国指定重要無形民俗文化財に指定された。
 門前・輪島の行事は 1月に行われるが、アマメハギは節分の日、2月3日に行われる。「節分は季節の 分かれ目。アマメハギは季節が変わってもいつまでも怠けていてはダメやと教えてくれる行事」と語る。天野さんは「鬼はこわいものではない。「能登はやさしや土までも」の言葉のとおり、鬼もまたやさしい」と感じている。
(文は町の広報誌「広報のと」N0.25より)

能登はやさしや−伝統行事
昭和50年代の子供達
 国指定文化財となリ、アマメハギが新聞、テレビ、雑誌などのメディアに取リ上げられるようになると、撮影に訪れるカメラマンも年々増えてきた。「カメラマンに色々注文を付けられる子どもたちがかわいそうで、取材を断るときもある」という。「アマメハギは芸能ではなく、伝統行事として残していくことが大切」との思いからだ。
 天野さんの保存伝承活動は精力的だ。自宅の一室をプチミュージアム「奥能登トリビア蔵あまめはぎ館」とし、アマメハギで実際に使われる道具や天野さん自身が撮影した昔の写真などを展示している。「アマメハギに興味をもって訪れてくれる人に、来て良かったと感動してもらいたい」という天野さんは、71歳ながらもパソコンを駆使してプロジェクターで説明もする。
(文は町の広報誌「広報のと」N0.25より)

能登はやさしや−光と音
かつて使用された様々な面
 「自分の活動が少しでも地域の活性化に繋がればと思っている」という天野さんは、町のボランティアガイドとして、グリーンツーリズムインストラクターとしての活動も行っている。「能登半島のこれからはグリーンツーリズム、つまり体験してもらって感動してもらうことが大切になる」と考えている。
 「能登の文化をアピールするためには「光」と「音」が大切。キリコ祭りもアマメハギも光と音の文化といえる」と話す天野さん。鬼の面の小さな穴から見える能登町の未来は、きっと光り輝いているのではないだろうか。
(文は町の広報誌「広報のと」N0.25より)

昭和のあまめはぎ−町史の証言
昭和20年代の様子
 内浦町史(昭和57年刊)に以下の記述があるので紹介します。
 このマメマキにアマメハギの行事が重って行われるムラがいくつもあった。現在行われているのは秋吉と河ケ谷だけであるが、宮犬・時長は昭和三十六、七年まで、不動寺では終戦後一時行われていた。
 秋吉の場合、節分の夜、子どもが数名ずつ組をなし、鬼の面を付け、蓑を着、フカグツをはき、サイケという手桶を提げ、出刃庖丁・鉄棒(模造)を持ち、各家に訪れる。鬼はサイケをたたき「アマメーアマメー」と大声でわめき戸をあけ、ニワヘ入ると、家の小さな子は逃げ回わるが、「親の言うことをきけ」「立春にいつまでもアマメをつけておるな」といっておどす。
(文は「内浦町史」第二巻925頁より)

昭和のあまめはぎ−面はボール紙
昭和30年代の様子
 アマメとはいろりにあたっていると脛にできる火だこのことで、怠け者に対してアマメを庖丁で剥ぎとるぞとこらしめるしぐさをする。主人は鬼に金や餅を与えて「鬼は外、福は内」と豆をぶつけて追い出すのである。
 鬼の面は欅の皮・夕顔のものもあるが、多くはボール紙で自製する。サイケに金・餅を入れる。次に河ケ谷のアマメも古く安政元年生まれで明治二十九年死没した中川某のいた時代にもあったと伝える。ここの容器はサイコズツといい、フタがあった。竹に四つ割れ目を入れたものでこれをたたき、「オー」とうなるような大声をあげる。それで古風をとどめていると思われる。(下線は本サイトで今はされていない)
(文は「内浦町史」第二巻925頁より)

昭和のあまめはぎ−民族行事
昭和40年代の様子
 怠け者を戒め、厄を払う民俗行事毎年二月三日の節分に、秋吉、清真、河ケ谷、宮犬の各町内で行われる。小学生が中心となり、節分の夜、豆まきと一緒に行われる。薄暗くなったころを見計らい、小学生たちは手づくりの鬼の面をつけ、手桶や刃包丁を手に一団となって家々を回り、「アマメー」「怠け者はおらんか」などと小さな子どもをおどし、餅をもらって退散する。
 「あまめ」とは囲炉裏にあたってばかりいると足にできるアザ状のマメのこと。すなわち「怠け者の印で、そのあまめをはぎ取ることで、怠惰を戒め、災厄を払って歩く民俗行事である。秋田のナマハゲと類似しており、石川県内にも輸島市や門前町に同様の風習があるが、節分の夜に行うのは内浦町だけである。
 内浦町では、昭和49(1794)年に町の無形民俗文化財となり、昭和54 (1979)年に「能登のあまめはぎ」として国の指定を受けている。
(文は「図説内浦町史/ときの輝の中で」74頁より)

あまめはぎ雑景
居間を改装した展示室
図説内浦町史平成20年の体験イベント

写真左は天野さん宅の居間を改装した展示室、中央は平成17年刊の図説内浦町史「ときの輝の中で」、右は平成20年の体験イベントの様子

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