■能登はやさしや−重要無形民族文化財 | |
門前・輪島の行事は 1月に行われるが、アマメハギは節分の日、2月3日に行われる。「節分は季節の 分かれ目。アマメハギは季節が変わってもいつまでも怠けていてはダメやと教えてくれる行事」と語る。天野さんは「鬼はこわいものではない。「能登はやさしや土までも」の言葉のとおり、鬼もまたやさしい」と感じている。 (文は町の広報誌「広報のと」N0.25より) |
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■能登はやさしや−伝統行事 | |
天野さんの保存伝承活動は精力的だ。自宅の一室をプチミュージアム「奥能登トリビア蔵あまめはぎ館」とし、アマメハギで実際に使われる道具や天野さん自身が撮影した昔の写真などを展示している。「アマメハギに興味をもって訪れてくれる人に、来て良かったと感動してもらいたい」という天野さんは、71歳ながらもパソコンを駆使してプロジェクターで説明もする。 (文は町の広報誌「広報のと」N0.25より) |
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■能登はやさしや−光と音 | |
「能登の文化をアピールするためには「光」と「音」が大切。キリコ祭りもアマメハギも光と音の文化といえる」と話す天野さん。鬼の面の小さな穴から見える能登町の未来は、きっと光り輝いているのではないだろうか。 (文は町の広報誌「広報のと」N0.25より) |
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■昭和のあまめはぎ−町史の証言 | |
このマメマキにアマメハギの行事が重って行われるムラがいくつもあった。現在行われているのは秋吉と河ケ谷だけであるが、宮犬・時長は昭和三十六、七年まで、不動寺では終戦後一時行われていた。 秋吉の場合、節分の夜、子どもが数名ずつ組をなし、鬼の面を付け、蓑を着、フカグツをはき、サイケという手桶を提げ、出刃庖丁・鉄棒(模造)を持ち、各家に訪れる。鬼はサイケをたたき「アマメーアマメー」と大声でわめき戸をあけ、ニワヘ入ると、家の小さな子は逃げ回わるが、「親の言うことをきけ」「立春にいつまでもアマメをつけておるな」といっておどす。 (文は「内浦町史」第二巻925頁より) |
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■昭和のあまめはぎ−面はボール紙 | |
鬼の面は欅の皮・夕顔のものもあるが、多くはボール紙で自製する。サイケに金・餅を入れる。次に河ケ谷のアマメも古く安政元年生まれで明治二十九年死没した中川某のいた時代にもあったと伝える。ここの容器はサイコズツといい、フタがあった。竹に四つ割れ目を入れたものでこれをたたき、「オー」とうなるような大声をあげる。それで古風をとどめていると思われる。(下線は本サイトで今はされていない) (文は「内浦町史」第二巻925頁より) |
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■昭和のあまめはぎ−民族行事 | |
「あまめ」とは囲炉裏にあたってばかりいると足にできるアザ状のマメのこと。すなわち「怠け者の印で、そのあまめをはぎ取ることで、怠惰を戒め、災厄を払って歩く民俗行事である。秋田のナマハゲと類似しており、石川県内にも輸島市や門前町に同様の風習があるが、節分の夜に行うのは内浦町だけである。 内浦町では、昭和49(1794)年に町の無形民俗文化財となり、昭和54 (1979)年に「能登のあまめはぎ」として国の指定を受けている。 (文は「図説内浦町史/ときの輝の中で」74頁より) |
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■あまめはぎ雑景 |
写真左は天野さん宅の居間を改装した展示室、中央は平成17年刊の図説内浦町史「ときの輝の中で」、右は平成20年の体験イベントの様子 |
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