■白丸小学校の歴史 | ||
閉校式には13年前に創立130年を記念して開封するために埋めたタイムカプセルも取り出され、過去の自分と対面した。 (能登町広報誌「広報のと」No.2より) |
||
|
■閉校までのあゆみ | |
明治 8年 1月 白丸小学校創立(高源寺-仮校舎) 明治20年 4月 簡易科白丸小学校と命名される(3年制) 明治25年 4月 白丸尋常小学校と改称(4年制) 明治41年4 月 6年制となり新校舎建築 大正 6年 5月 校下民の奉仕により運動場竣工 昭和22年 4年 新学制により白丸小学校と改称 昭和50年 1年 鉄筋新築校竣工 平成17年3 年 白丸小学校閉校 白丸小学校は、明治8年1月23日に白丸村高源寺の堂宇(堂の軒)を仮校舎として創立、130年間の歴史を刻み、3,167人の卒業生を送り出してきた。 (白丸小学校110年誌より) |
|
|
■明治の白丸小学校の様子 | |
明治33年卒業 新出 要太郎氏より聞書 (白丸小学校110年誌より) |
|
|
■大正の白丸小学校の様子 | ||
大正11年卒業 坂本 真一 (白丸小学校110年誌より) |
||
|
■昭和初期の白丸小の様子 | ||
「あんたは松波高等小学校へ、あんたは小木高 等小学校へ、あんたは○○へ働きに(6年義務教育だから)、そして高等小学校の授業料 銭だったね。(1ヵ月)」 昭和10年卒業 北野(新谷) かづ (白丸小学校110年誌より) |
||
|
■昭和中期の白丸小の様子 | |
学校では、運動場でソフトボールやキックボール、講堂(今の体育館)でドッジボール、バウンドパス、卓球、たたいて馬乗り、雪が降ればスキー(学校に板スキーがあった)、体育の時間にはポートボールなどをしていた。 また家では、かくれんぼ、缶けりひょうたん、はりつけ、軍艦、タイビン、竹スキー、パッチ、にが竹で作ったテッポウ、こま回し、たこ上げ、模型飛行機を作って飛ばしたり鳥つけ(現在は禁止されている)などほかにもいくつかあるが、今もこの原稿を書きながら一つひとつの遊びがなつかしく思い出されます。 最後に自慢を一つ。それは校舎の掃除が大変きれいだったことです。とくに廊下や講堂はピッカピカで人の姿がはっきりと床板に映ったほどでした。 現在の鉄筋の新校舎、時代の流れとはいえ、母校がなくなった感じで少し寂しい思いがします・・・。 昭和42年卒業 神田 幸夫 (白丸小学校110年誌より) |
|
|