■卒業式・閉校式 | |
当時の中平義則校長からは「2人の最上級生としての活躍は目覚ましかった。たくさんの感動をありがとう」とお祝いの言葉が贈られました。 閉校式は3月25日に行われ、児童達は慣れ親しんだ母校との最後の別れを惜しみました。 この学校で学んだことを忘れず、新しい学校で自分たちの夢に向かって歩み続けてください。 (能登町広報誌「広報のと」No.14より) |
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■閉校までのあゆみ | |
明治 6年11月 波並村落小学校創立
明治41年 4月 小学校令改正終業年限6ヵ年に 大正 2年 4月 三波尋常小学校と改称 昭和22年 4月 三波村立三波小学校と改称 昭和38年 9月 ミルク給食実施 昭和53年 8年 新校舎完成 平成 9年8 年 「全国学校体育優良校」表彰 平成18年 3年 三波小学校閉校 (閉校記念誌「思い出の我が母校」より) |
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■旧校舎の想い出−登下校 | ||
毎日のことだと考えると当時、学校へ行くだけでもどれほど大変だったかをうかがいしることができるでしょう。しかし、そこは子供のたくましさか、冬でもスキーをしたり、下校時には大きなつららをほおばって帰っていたという。 宮越すえさん (昭和10年入学) (閉校記念誌「思い出の我が母校」より) |
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■旧校舎の想い出−開戦前夜 | |
そんな時代背景もあってのことでしょう。だれもが知る真珠湾攻撃があり、アメリカとの戦争が勃発。 宮越すえさん (昭和10年入学) (閉校記念誌「思い出の我が母校」より) |
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■旧校舎の想い出−時の流れに | |
ただ、何年か後にクラスの男の子が特攻隊で戦死をしていることを聞いたという。 宮越すみさんは、次の言葉を残している。「時の流れに人間は流されていくのだろうか」 当時の学校の様子を思い描く時にふと、教育を受けられることの"ありがたさ"を今の世代に、そして次の世代にも伝えていくことができたらと思わずにはいられなくなるのは私だけでしょうか。 宮越すえさん (昭和10年入学) (閉校記念誌「思い出の我が母校」より) |
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■新校舎の想い出−桜の木 | |
少ない人数ながら子供達がはきはきした態度で発表したり歌ったりするのにも驚かされました。それから毎日が花見給食でした。山で育った私には海辺の桜の木の下で給食を食べれるのがなんとも不思議でした。 眼下には富山湾が青く広がっています。時には立山の稜線がくっきりと浮かびあがり、まるで絵を見ているようです。子どもたちの視力がほとんど2.0というのもこの景色からいえば当然なのかもしれません。 脇 祐志先生経験 (閉校記念誌「思い出の我が母校」より) |
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■新校舎の想い出−自然の中で | |
ほかにも思い出はたくさんありますが、地域の方々や保護者の皆さんの協力で得て大敷網の船に乗せてもらった事が記憶に残っています。 仕事の厳しさ、自然の中での緊張感などを子供達と一緒に教えてもらいました。小規模校ならではの体験をすることができました。 脇 祐志先生経験 (閉校記念誌「思い出の我が母校」より) |
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