■「知・徳・体」の教育 | |
教育は「知・徳・体」の調和のとれた人間性を育むことが求められます。本校では、高い学力に加えて緑豊かな大自然の中で学べるという利点を生かして、教育がなされてきました。それで、校庭に刻まれている「知・徳・体」が、子供たちの豊かな心の中にも刻まれること、そしてその心の中で生き続けていくことを願ってやみません。 閉校記念碑の太陽のイメージの如く、子供達の限り無き発展と幸せを願いつつ、平成18年3月、瑞穂小・中学校の長い歴史に幕を下ろしました (閉校記念誌「希望の友垣」より) |
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■旧校舎の頃の様子 | |
昭和32年3月中学校卒業 山下国昭 校舎は木造平屋で長く直線状木製の机がある教室並び、隣の教室へも自由に出入りし、友達とも楽しく遊びました。また、校舎前には、桜並木があり四季おりおりの風景を楽しむことができました。校舎下のグランドの、屋根つきの土俵場も他校にない立派な施設でした。 また、部活動は、陸上、卓球、排球、庭球などがあり、各々が活動していました。私は、ソフトテニス部でのことが印象深く思い出されます。グランドは凹凸でボールは思うように跳ねず、当時の監督は武渕一男先生で、放課後になると部員と一緒に鍬をもち水平になるように土を削り、赤土を入れ、ローラをかけてから練習をはじめたものです。練習のきつさは今も変わらないかも知れませんが、作業を通して、仲間との絆を育んだこともよい思い出です。 現在の校舎の落成式には、嬉しく出席させていただきましたが、今度はついに廃校となり寂しくなります。鵜川小中学校に行かれる児童、生徒の皆さんは、スポーツに勉学に伝統ある歴史を刻んできた、この学校に誇りをもち、思いやりのある人間に育ってほしい、校舎は変わっても、瑞穂っ子の活躍を心より願っています。 (閉校記念誌「希望の友垣」より) |
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■新校舎の時代の様子 | ||
平成10年3月中学校卒業 川端寛文 「母校がなくなる・・・。」と初めて聞いたのはちょうど1年くらい前です。私自身も何年後かには児童、生徒の減少でなくなると思っていましたが、まさかこんなにも早くなくなってしまうとは思ってもいませんでした。 考えてみれば私が瑞穂小中学校を卒業してから早や8年が経とうとしています。もうそんなにも経ったのかと時間の早さを今、痛感しています。 思い返せば、小学校時代は親に「夕ご飯までに帰ってきなさい。」と毎日のように言われましたが、友達と時間も忘れて暗くなって道が見えなくなる時間まで泥だらけになって遊んでいました。中学校に入ると今度はソフトテニスに夢中になり、真夏の暑い時も真冬の寒い時も仲間と共に1つの目標に向かって一緒に汗を流しました。それと同時に当時瑞穂中学校にいた私の大恩師である滝井元之先生に「テニスだけうまくてもいけない、挨拶や感謝の気持ち、色んなことに一生懸命でなければいけない。」ということを教えて頂きました。この瑞穂小中学校で学んだことが高校へ行ってからも大学でも私の絶対的な基盤となっていることは間違いありません。 閉校になるとことは私の原点がなくなるような気がしますが、決して私の瑞穂小中学校はなくなることなく今もそしてこれからも私の心の中で生き続けることでしょう。 ありがとう瑞穂小中学校! (閉校記念誌「希望の友垣」より) |
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■瑞穂小中学校、最後の卒業式 | ||||||
中学校卒業生を代表して、畠中さゆりさんが「どんな行事にも最後という言葉がつき責任を感じましたが、お互いのことを理解し励まし合い、やり遂げることができました」と答辞を述べました。 学舎との最後の別れとなった閉校式は3月26日に行われ、子どもたちは様々な思い出を心に刻み、それぞれの新しい環境へと旅立ちました。 忘れかけていた心の扉のカギをなくした大人にとって、原点に隠された感謝の気持ちを呼び起こすのに、必要なものは何でしょうか。 それぞれの心を込めたこの学校の足跡が、どうぞ皆様の心の中に届きますように! (能登町広報誌「広報のと」No.14より) |
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