■神野小学校の歴史 | |
「神野っ子」にとっては何十年経っても、目を閉じればこの校舎での懐かしい思い出が心によみがえるはず。閉校にあたり、閉校式実行委員会の竹内氏は「願わくば残したかった学校、複雑な気持ちでいっぱい」と語る。 (能登町広報誌「広報のと」No.26より) |
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■閉校までのあゆみ | |
明治 8年 9月 鶴町小学校開校 大正7 年 4月 神野尋常小学校と 改称 昭和13年7月 校名を神野尋常高等小学校と改称 昭和20年4月 運動場を開墾(大豆.そばを植える) 昭和33年12月 学校完全給食開始される 昭和41年 1月 新校舎鉄筋二階建完成 昭和50年10年 創立百周年記念・記念碑「誠実」 平成19年 3年 学校再編成により神野小学校閉校 (閉校記念誌より) |
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■在校生の一言−「神野小学校だからできたこと」 | ||
今年は大桐さんのおじいさんが、山菜を取らせてくれました。そんなことは、他の学校では絶対にできないことだし、神野小だからできることだと思います。 調理実習では、自分たちが作った料理をみんなに食べてもらえます。6年生が育てたサツマイモを使って、5,6年生で大学イモとスイートポテトを作り1年生から4年生の人たちと先生方みんなに食べてもらいました。 他にも、休み時間には、たまに1年生から6年生までみんなでいっしょに遊んだりもします。天気のいい日には、外で全校の児童と鬼ごっこをしたりします。 私は、こんなに全校の仲がよく、お互いのことをよく分かり合えている神野小学校に6年間通えてよかったです。神野小学校が閉校になっても、今までの思い出を忘れないようにしたいです。 6年 粟津 (閉校記念誌より) |
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■在校生の一言−「ササあめ」 | ||
みんなで、ササであめやふねをつくって遊びました。でも、小さいササであめをつくるのがむずかしかったです。 でも、どんどんれんしゅうしていくと、うまくなりました。この思い出は、けっしてわすれません。 1年 山本 のぞみ (閉校記念誌より) |
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■卒業生の想い出−旧校舎で | |
夜中に学校中を見回りに行った。夜中の体育館はそんなに恐くなかったけど、真夜中の理科室の骸骨や音楽室の写真、トイレは恐かった。きっと父親も恐いので、私を連れて行ったのだと思う。 小学校入学時は、49人一クラスで、多分今までで最も人数の多い学年だったと思う。4年生の頃、学校にプールができた。魚もいないのに何の目的で泳ぐのか不思議でならなかった。 それまでは魚を採るために近くの川で泳いでいたからだ。5年生の頃、木造校舎を現在の校舎に建て替えた。そのため、これも木造の体育館を仕切って教室を作った。体育館で全校児童が賑やかに学習したのが楽しかった。 学校の行き帰りは、白転車だった。その頃は、道が舗装されてなく、車もほとんど通っていなかった。手を離してどこまで行けるか友だちとよく競争した。そして、よく転んだ。冬はよくスキーで学校へ行った。だから冬はよく遅刻した。 丹保 博 (昭和42年度卒業) (閉校記念誌より) |
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■卒業生の想い出−新校舎で | |
白分たちの好きな歌やお語を流した。1,2年生のことなんか気にしなかった。ときには、白分たちでも分からない内容のものを流した。 理科室も設備が整った。さっそく科学クラブに入った。実験など好きなことを好きなようにやらせてもらった。学芸会では、友だちと台本を書いた。子どもだけで練習して本番を迎えた。全てが子どもに任された。失敗しても許される、信頼されることが子ども心に大変嬉しかった。 今考えてみると、その頃の先生や大人、地域の大きさというのを感じ取ることができる。貧しいながらも子どもたちを地域全体で育ててきた。目に見えないところに大事な事があるということを、おぼろげながら教えてもらったような気がする。 小学校時代はいろいろできるようになる。しかし大事なのはそれを白分がどう生かしていくかということだ。私は地域も含めた神野小学校のおかげで、何とか今まで先生をやってこれたのだと思う。 丹保 博 (昭和42年度卒業) (閉校記念誌より) |
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■最後の卒業式と閉校式 |
神野小学校最後の卒業生7人を見送る卒業式は、3月19日に行われました。式では今寺伸子校長から卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡され「みなさんが神野小学校最後の卒業生であることを誇りに思います」とはなむけの言葉が贈られました。 卒業生は兄弟のように過ごしてきた後輩たちとの思い出や、温かく見守ってくれた先生や家族への感謝の言葉を伝え、校舎に別れを告げました。 慣れ親しんだ母校との最後の別れとなった閉校記念式典は3月24日に行われ、来賓や卒業生、地区の方、元職員などたくさんの人が集まりました。 式典では学校のシンボルとして掲げられてきた校旗を返納し、校舎前に立てられた記念碑の除幕式などが行われました。 自然豊かな神野の地で、強く優しい心をもった児童を育んできた神野小学校。子どもたちの新しい門出を祝うという最後の役目を終え、長い歴史に幕を閉じました。 (能登町広報誌「広報のと」No.26より) |
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