所在地
  石川県鳳珠郡能登町
  字宇出津ヘ217-16
  寺下又蔵商店
  電話0768-62-0312

能登のいしり館


発酵と熟成が生むいしり
宇出津港
 この町には「いしり」がある。何百年も「いしり」と歩んできた歴史がある。「いしり」はおふくろの味。忘れられない故郷の香り。この町に住むわたしたちが受け継がれた伝統を守り、新しい「いしり」文化を築いていく。
 「いしり」は優れた発酵技術と先人の知恵が生み出した能登秘伝の魚醤油。懐かしい磯の香りと食材の味を引き出す奥深い味わい能登だけでしか味わえない伝統の味を世界へ捨てる内臓を無駄にしない。生活の知恵が生んだ【魔法のエキス】。

(文と写真は町の広報誌「広報のと」第22号より)

「いしり」の作り方
いかの水揚げ風景
 地元で水揚げされる新鮮なイカの内臓(ゴロ・ナシモンとも呼ばれる)と塩を交互に桶に入れ、発酵・熟成させて作られる「いしり」。一般的には晩秋から初冬にかけて仕込み、翌年の晩夏から初秋に出来上がるが、中にはまろやかさを増すために、2年から3年熟成させているものもあるという。商工会によると、塩の量や漬け込み方、漬け込む年数など生産者それぞれがこだわりをもって作っているために、正確な生産量や生産者数などは把握できないという。
 その中でも、古くから「いしり」を作り続け、製造方法も「昔ながら」にこだわっている生産者の一人が寺下正信さん(49歳)だ。20歳で地元に戻り、25歳で家業を継いだという寺下さんは、祖父、父と3代100年にわたり「いしり」を作ってきた。しかし「いしり」の作り方については「教えてもらったことはない。聞いても『やってみろ』と言われるだけだった。祖父や親父の作業を見て覚えた」という。「やり方は変わっても基本は同じ、何も変わらないし変えていない」と話す寺下さんは、「いしり」を作り始めてから20年以上の経験を積んだ。
(文の一部は町の広報誌「広報のと」第22号より)

「いしり」のこだわり
いしりのこだわり

 塩の量についても「塩の加減は決まっていない。ナシモンの鮮度によっても変わるし、すべては経験と勘で決める」と自分の経験と勘を信じている。「その年の出来具合は色と香りでわかる」までの経験を積んだ寺下さんだが、祖父や父が作っていた「いしり」と比べるとまだまだだと感じている。
 自分が作る「いしり」は、祖父や父が作っていた「いしり」とは違うという。何かが足りないと感じているが、それが原料なのか工程なのかはまだわからないそうだ。それでもいつかは「黄金色のような『いしり』を作りたい」と考えている。
 寺下さんが作る「昔ながらのいしり」には、親子3代にわたり守り続けてきた大切な「こだわり」が込められている。「いしり」の作り方は、統一されているわけではない。原料、塩、漬け込み方、熟成期間など、生産者がそれぞれ「こだわり」を持って作っている。
色、香り、味など、自分好みの「いしり」を見つけることも楽しみのひとつではないだろうか。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第22号より)

「いしり」の香りが教えてくれる
いしりの入った木桶

 うまい「いしり」にこだわる寺下さんは、材料にもこだわっている。「イカが大きすぎると内臓に余分な油が多い。『いしり』に適した大きさのイカを吟味している」という。
 また、年に一度の桶から「いしり」を出す時期は、「におい」が教えてくれるとのこと。
 「熟成が進むと出てくる桶からのにおいで、近所の人にも『いしり』が出来る時期がわかる。桶が、そろそろ『いしり』を出す時期やぞと教えてくれる」と話す。
        (文は町の広報誌「広報のと」第22号より)

「木の桶」というこだわり
何十年も使われ続けた「木の桶」
 寺下さんが作る「いしり」が「昔ながら」という最大の理由は、原料を漬け込むタンクが「木の桶」ということだ。漬け込まれた内臓と塩は、何十年も使われ続けた「木の桶」の中で、かき混ぜられることもなく、ゆっくり発酵と熟成をする。熟成期間は約3年間。自分が一番いいと思う「色」と「香り」を出す時期が3年なのだという。
 昔は10個あったという桶も今では4個にまで減った。生産量を減らしたのではない。桶を直せる桶職人がいないからだ。それでも寺下さんは、「木の桶」で作る「いしり」にこだわっている。「この桶がある限りは、『いしり』を作り続けたい」と話す寺下さん。「発酵で出来る『いしり』は自然が相手、気温、湿度などいろいろな条件で微妙に味は変わるが、自分が自信を持って出せるものしか出さない」と言い切る。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第22号より)

イカから生まれる「いしり」
スルメイカから丁寧に内臓を取り出す
 能登半島に古くから伝わる魚醤油「いしり」には、原料によって大きく2種類があります。
 富山湾に面した内浦地区では、イカの内臓(ゴロ)を原料とし、日本海に面した外浦地区では、イワシ・サバを主な原料としています。「いしり」のほかに「いしる」「よしり」「よしる」などとも呼ばれています。
 語源には諸説ありますが、魚の古語である「いお」の「汁」が転じて「イシル」「イシリ」となったという説のほか、「いか汁」から「イシル」「イシリ」となったなどともいわれています。
 わたしたちが住む能登町の小木港や宇出津港では、昔からイカ漁が盛んでした。イカの加工品は古くから宇出津の特産品であり、小木港は現在、日本海側最大のスルメイカの水揚げを誇っています。
 魚醤油には、ハタハタが原料の秋田の「しょっつる」、イカナゴという魚を原料とした香川の「いかなご醤油」などがありますが、「いしり」はこれらと並び、日本三大魚醤油に数えられています。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第22号より)

先人の知恵が生んだ調味料
桶に漬け込まれたイカの内臓
 水揚げされたイカが加工されるときに発生する大量の内臓を塩で発酵させ調味料を作るという先人の知恵と経験が生んだ「いしり」には、独特の香りや旨味成分が含まれています。
 旨味の素である遊離アミノ酸を大量に含むとともに、抗酸化物質やタウリン、低分子のペプチドも多く含まれます。また血圧上昇抑制物質の存在も確認されていて、医薬品としての可能性も調査されています。
 昨今の健康ブームや本物志向、地域独自の食を見直すスローフードの波に乗り、「いしり」の注目度は過去にないほど上がっています。「いしり」の知名度が全国的に増し、本物の「いしり」を求めてたくさんの人がこの能登町を訪れたとき、地元の人が「いしり」を知らないことほど残念なことはありません。
 「いしり」産地であるこの能登町に住む人間として、「いしり」が大切な伝統であり、文化であるということを再認識する必要があるのではないでしょうか。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第22号より)

能都町史で紹介されるイシリ
昭和初期の宇出津港
 イシリ(烏賊しょうゆ)とも言い、秋から冬にかけて干するめを加工する際に副産される内臓を原料とし、多量の塩を混ぜて大きな長桶に入れてつけ込み、翌年の六、七月の高温の梅雨期まで静置し保管する。その間自然に発酵させて沈下したエキス分を桶底より流し出し釜で炊き、ろ過し得たアミノ酸しょうゆである。これを一番イシルと称し、次に一番イシルを採取した内臓の残りに更に塩鯖その他の塩汁を加え約一ヶ月間放置し、前記の要領で採取したエキスを二番イシルと言う。
 古くから伝わっているイシルの食べ方について紹介する。
刺身の調味として珍重されている。寒ブリの刺身に大根おろしたっぷり添えて食べたり、その他焼き魚にも用いる。
野菜の煮込みをはじめ、新鮮な大根菜・青野菜その他つけ物の調味料にも用いた。
イシルの貝焼きと称して土鍋または帆立貝にタイ・カワハギ・フグ・カキ貝その他白身の魚にねぎ・せり・白菜・豆腐などを入れて炊きながら常に熱いものを食べる。
(文と写真は「能都町史」第二巻467,468頁より)

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