■フェスティバル開催 | |
「まずはたくさんの人にキリシマを知ってもらいたい」と協議会は探訪マップをかねたポスターを制作、そして能登空港で「のとキりシマツツジフェスティバル」を開催した。 制作したポスター1万部はあっという間になくなリ、フェスティバルには3日間で7000人が訪れるなど協議会の活動は大きな反響を呼ぶ。 (文と写真は能登町広報「広報のと」2006/6より引用) |
|
|
■平成18年学術調査を行う | |
平成18年、2人の学者は珠洲市で調査報告を行う。「学術的にしっかリすることにより、マスコミの取り上げ方が変わった、今までの自分たちの活動は無駄ではなかったが、説得力がなかった」と話す宮本会長「今後は、さらにDNA鑑定を進め、能登にしかない花ということを実証してもらいたい」と語る。 (文と写真は能登町広報「広報のと」2006/6より引用) |
|
|
■「のとキリシマ」の保存 | |
「のとキリシマは能登半島の大切な文化。文化には人が欠かせない」と考える宮本会長。「キリシマは、家があリ人がいて育つ。人間とともに生きている。人の心が木に移り、感動させるようなキリシマになる」と話す。 わたしたちの先人が、大切に守リ続けてきた「のとキリシマツツジ」。その燃えるような真っ赤な姿は、能登半島を元気にする原動力になる。 (文と写真は能登町広報「広報のと」2006/6より引用) |
|
|
■「のとキリシマ」の今後 | |
5月上旬、能都庁舎、柳田植物公園、能登空港の3カ所で、恒例となっているのとキリシマツツジの展示会が開催されました。各展示会場では、愛好家によって大切に育てられた満開ののとキリシマが見事に咲き誇っていました。その真紅の花は、県内外から訪れるたくさんの観光客を魅了していました。 (文と写真は能登町広報「広報のと」2006/6より引用) |
|
|
■「日本一ののとキリシマ」 | |
能登半島はキリシマツツジの保存について、その規模の大きさは日本一であり、のとキリシマは能登地方の固有種の可能性があるということです。 (文と写真は能登町広報「広報のと」2006/6より引用) |
|
|
■能登の山野に自生するツツジ類 | |
@サイゴクミツバツツジ 落葉低木で花色は一般に紅紫色である。シロバナサイゴクミツバツツジも、稀に柳田地方などの山地に自生している。 Aレンゲツツジ 落葉低木で花色は変化に富むが、一般的にかば色のものが多い。 Bヤマツツジ 日本の山地に広く分布する。花色は朱紅色のものが多い。 Cウラジロヨウラク 花型はツリガネ状で紅色である。柳田地方の山地に稀に見られる。 Dその他オ オコメツツジ(珠洲市の宝立山)などがある。 (「のとキリシマツツジ写真紀行」より引用) |
|
|
■のとキリシマツツジの来歴 | |
キリシマツツジには、いくつかの系統がある。中でも、江戸キリシマツツジは、深紅の花色が当時の人々に喜ばれ大流行した。今も各地に、当時の名残の江戸キリシマツツジの大株を見ることが出来る。 キリシマツツジが九州から江戸に入ったのは江戸時代の初期で、今から、三百四十年から三百五十年前のことである。その後、選抜改良され、暖地性の母体から耐寒性の強い今日のような立派な品種が作られた。これが地方に分散し改良され、地方名がついて○○キリシマとして発達してきたものと考えられる。 能登地方にあるキリシマツツジも、いつごろ、どんな経路を経て植栽されたものか不明である。おそらく、我々の先祖である愛好者が、旅の途中、この花に魅せられ持ち帰ったものか、あるいは、北前船の交易との関係で運びこまれたものだろう。 のとキリシマツツジの持つ生命のたくましさに畏怖の念を抱くとともに、奇跡に遭遇したような驚きを感じる。 (「のとキリシマツツジ写真紀行」より引用) |
|
|