能登杜氏館


能登杜氏
蔵元での農口氏(上右から2人目)

 「農作業が終わる晩秋から春にかけて行われる日本酒造り。その最高責任者が「杜氏」です。
 全国の杜氏集団の中でも、日本四大杜氏に数えられる能登杜氏は、その技術の高さも評価されています。
 何百年もの間受け継がれてきた能登杜氏の匠の技は、能登町が全国に誇れる伝統文化のひとつといえます。
 米と水を原料に、こうじ菌や酵母などの微生物を巧みにコントロールして日本酒を造る杜氏。能登流酒造りと呼ばれる能登杜氏の歴史や現状、今後の課題はどうなのでしょうか。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第16号、29号より)

酒造りの長/杜氏
大正2年の静岡の蔵元で
 冬の間仕事ができなくなる農山漁村の男たちが、秋の収穫が終わると故郷を出て翌年の春まで日本各地の蔵元に住み込んで蔵人として酒造りに励む。江戸時代中ごろに始まったとされるこの酒造りの形は、現在も続いています。
 酒造りの長「杜氏」は、蔵や帳簿、仕込みなど酒造りのすべてを管理する最高責任者です。高度な技術が必要な日本酒造りには、杜氏の技能、特に経験と勘が酒の出来栄えに大きな影響を与えるのです。
 記録によると元禄時代に能登から蔵人を出していたと記述されています。江戸時代の初期には酒造りの技能集団として成立していたようです。能登半島の農山村や漁村では、寒さが厳しく、農業や漁業ができない冬期間に全国各地に職を求めて出稼ぎすることが昔からの風習としてありました。江戸時代以降、酒屋働きの酒男は「能登衆」と呼ばれ、他の出稼ぎの者とはっきり区別されていました。明治時代には近江の大津に能登の杜氏と酒男を斡旋する「能登屋」という部屋があって大勢の酒男を斡旋していたといわれています。
(写真は「珠洲の歴史」から、文は町の広報誌「広報のと」第16号より)

高まる名声/能登流酒造り
中三郎氏/H17年の現代の名工

 明治34年、石川県で初めての「酒造講習会」が開催されました。この講習会が「能登流酒造り」のきっかけとなり、能登杜氏の酒造技術は飛躍的に向上したとされています。能登杜氏は伝統となった能登流酒造りに最新の技術を加えながら、全国の品評会でもその優秀さを何度も立証し、全国的に能登杜氏の名声を高めていきました。大吟醸酒造りに多くの名手を輩出し、吟醸酒造りは「能登流が一番」といわれるようになりました。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第16号より)

経験者不足と技能伝承
一升瓶
能登杜氏の最盛期は昭和2年といわれています。この年、402人の杜氏と1644人の酒男が各地に酒造りに出かけた資料が残されています。
 現在の能登杜氏の数は70人にまで減少しました。杜氏の経験と勘が重要な酒造りにおいて、一年に一工程しか経験できないことも影響し、杜氏になるには最低10年間の修行が必要ともいわれています。
 このような長い下積み期間が必要なことや、出稼ぎの必要が薄れてきたことなどさまざまな要件が重なり、杜氏の後継者不足が問題となっています。
 能登杜氏の卓越した技能は、能登の風土と食文化、そして純粋でねばり強い能登人のたゆまぬ努力によって高められてきました。
 世界中のお酒の中で、他に類を見ないほど繊細で複雑な工程と高度な技術を要する日本酒の醸造技術は、伝統と最新のバイオテクノロジーが結合した、日本文化の結晶といわれているのです。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第16号より)

日本酒ができるまで
品評会
 清酒、お酒、外国ではSAKEなどと呼ばれる日本酒。近年は醸造技術の進歩により、高品質でバラエティーに富んだ日本酒が多く造られるようになりました。又「百薬の長」として、日本酒の効能の研究も進んでいます。
 古くて新しい日本酒。その魅力は?
 アルコールは、酵母が糖分(ブドウ糖)を分解することによって作られます。しかし、日本酒の原料である米にはデンプンやタンパク質はあっても糖分はありません。
 そこで活躍するものが麹菌です。麹菌は米のデンプンをブドウ糖に分解します。そのブドウ糖を酵母が食べてアルコール発酵するのです。

日本酒の醸造には、おおまかに次の工程が行われます。
 精米→蒸米→麹造り→酒母造り→もろみ作リ→搾り→おリびき→濾過→火入れ→貯蔵

(文と写真は町の広報誌「広報のと」第16号より)


精米から蒸米
きき酒
精 米
 日本酒の原料である「米」の外側にはデンプン以外にもタンパク質や脂肪など酒造りに必要のない成分がたくさん含まれています。この外側部分を削り落とす作業が「精米」です。
 どれだけ削るかは造る酒によって異なりますが、吟醸酒などは精米歩合が60%以下(40%を削る)になります。
 精米した米は、洗ってから水に浸けて吸水させます。その後、デンプンを分解しやすくするために「こしき」と呼ばれる道具で米を蒸す「蒸米」を行います。

蒸 米
 蒸した米に麹菌を振りかけ、米のデンプンを糖分に変える麹を造ります。麹菌を振りかけることを「種切り」といい、吟醸麹の場合、米1粒に菌が1〜2個だけつくようにします。このとき部屋に風が起こらないよう杜氏以外は動かないなど、繊細な神経が要求される作業です。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第16号より)

麹造りから貯蔵まで
仕込み
 出来上がった麹と水、蒸米、酵母を混ぜてねかせて、酒母(=もと)を造ります。そして出来上がった酒母に、麹、蒸し米、水を3回に分けて仕込み(三段仕込)、もろみを造ります。もろみでは、麹の酵素が働いて米のデンプンをブドウ糖に分解する「糖化」と、できたブドウ糖を酵母がアルコールに変えていく「発酵」の2つのプロセスが一つのタンクで同時に行われます。これを「平行複発酵」といい、世界中のさまざまな発酵方法の中でも、とても高度な技術であるといわれています。
 発酵が完了したもろみを「酒」と「酒粕」に分離するために「搾り」という作業を行います。搾ったばかりの酒は白く濁っています。その濁りを沈殿させて取り除くことを「おりびき」といいます。おりびきして透明になった酒をさらに濾過します。濾過した酒の酵素の働きを止めるために、約65℃に加熱する「火入れ」を行い、酒の性質に応じて「貯蔵」します。
 おりびき以降の工程は必須ではなく、搾っただけの「無濾過生原酒」や火入れしない「生酒」、ビン詰め前だけ火入れをする「生貯蔵酒」など、味や個性を追求した酒もあります。
(文は町の広報誌「広報のと」第16号より)

「現代の名工」能登杜氏/農口尚彦さん
農口尚彦さん
16歳で日本酒を志す
 日本酒の世界で、その名を知らない人はいないといわれ、そのたぐいまれな技術が高く評価されている能登杜氏が農口尚彦さんだ。農口さんは、16歳のときに酒造りを志した。杜氏を目指したきっかけは「終戦直後で仕事の選びようがなかった」と振り返るが、先代、先々代と杜氏をしてきたという杜氏の家系も農口さんを日本酒に向かわせたのではないだろうか。

山廃仕込みとの出会い
 下積み時代は、父親が杜氏となっていた三重県の酒蔵や、静岡県の酒蔵で修行を積んだという農口さんは、28歳のときに白山市(旧鶴来町)の酒蔵に杜氏として招かれた。しかし最初は思うように売れなかったという。「東海地方はきれいな日本酒。しかし、北陸では働いてから飲む酒、つまり濃い酒が好まれるから」だそうだ。
 そして、農口さんは濃い酒、味のある酒を求めて、丹波杜氏から山廃仕込みを学んだ。山廃仕込みは昔ながらの酒造りの手法であり、当時、その技術を伝承している杜氏は全国にも数えるほどだったという。 「自分の酒造りは、のどを通ったときに米の味がしっかりすること、そしてのどを通ったあとのキレ。山廃はキレがいい」と話す農口さん。昔ながらの山廃仕込みと飛躍的に進んだ精米技術を組み合わせ、自分が求める酒を造るため研究を重ねた。
(文と写真は町の広報誌「広報のと」第16号より)

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