能登町不動寺にある珪化木公園の近くにおとらの「こもり穴」があったと伝えられる。
地元では「おとらの長持ち保存会」が読み聞かせを行なって、この民話を伝承している。

おとらの長持ち 

概要
 むかし、むかし、不動寺に古くから栄えていた和田弥三郎という家があった。
 家の向いの山は和田谷内と言って深い谷になっており、そこの立岩に「おとら」と呼ぶ女ぎつねが住んでいて、何でも出て来るおとらの長持ちを持っていた。
 和田が御膳がほしいと言えば、次の朝、穴の前に御膳がちゃんとおいてあるという調子で、物事がある時はおとらにたのめば、茶のの間いっばいに御膳や料理、夜具などが並んでいた。
 あるとき、お椀を一こ、こわして返さなかったら、その後、一つもかしてくれなくなってしまい、やがて和田家も衰えてしまった。
 その後、おとらは姫のこのこのきつねの仲人で、飯田の春日のきつねの所へ、嫁に行ったと言われているが、何でも出て釆るおとらの長持ちは、今でも、山の中のどこかにあると伝えられている
坂下喜久治先生 「むかしの話」より

読み聞かせ台本
 

 むかしむかし、この不動寺の在所に、古くから栄えていた和田弥三郎という家があった。
 家のむかいの山は、和田谷内といって深い谷になっておって、そこの立岩に、何でも出てくる長もちを
持った「おとら」と呼ぶ女のきつねが 住んでいた。ある日、村人が、
 「あした、おらうちに呼ばれやあるげけど、弱ったことに御膳やないげて、よわったなぁ・そうや。おとらさ
んに頼んでみるか。」 と、和田谷内に行った。そして、
 「おとらさん おとらさん。おらのうちに明日よばれやあるげけど、お客さんに出す御膳がないがで弱っと
るげわ。十人前やけど貸してもらわれんかのきゃ頼むわきゃ‐」 と、お願いした。次の朝、村人が、おと
らさんの立岩に行って見ると立派な御膳が揃っていた。村人は、
 「おとらさん ありがとうごじんす。ひっで助かるわけ。ほんなら 借りて行くわのきゃ。終わったら必ずち
ゃんと揃えて持ってくっさかいのきゃ ありがとうごじんす。」と喜んで御膳を借りていき、無事お客さんの
もてなしをしたそうな。
 これを聞いた不動寺の在所の人々は、何か物事がある度におとらに 頼んだそうな。
 あるとき、村人がおとらのおかげで無事に葬式を終え、葬式の片付けで、
 「ありゃ お椀やひとつ 欠けとる・・おとらさん 怒ってやろうなぁどうしょう・ このお椀 どうしたらいいや
ろう・・ 返したらいいか返さん方がいいかどうしょう  ぼれとりんし一個くらい返さんでもわからんやろ」
 と、一個ぐらいは分らないだろうと、村人は欠けたお椀を一個だけ返さなかった。約束を守らなかった
村人に、おとらは腹を立て、村人の一個ぐらいはわからんやろう という考えに がっかりしてしまったそう
な。その後、在所の人がおとらのところへ借りに行っても何ひとつ貸してくれなかったそうな。
 そのあと、おとらは姫の【このこ】のきつねの仲人で、飯田の春日のきつねの所へ嫁に行ったげと。
                   おしまい



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